バレエの歴史
バレエの起源はいつでしょうか?
イタリア
バレエの意味を広くとって舞踊劇とすれば、古代ギリシャ、古代ローマ、古代エジプトに遡ります(ベリーダンスはその名残です)。
しかし、バレエを5つの基本ポジションの上に構成された舞踊と定義するならば、ルネッサンス期のイタリアというのが定説です。
ルネッサンスには富が蓄積されて、王侯貴族の館では豪華な晩餐会がしばしば催されていました。その余興として舞踊のスペクタクル、つまり「小舞踏会」が開かれていました。この「小舞踏会」を意味するイタリア語BallettoがバレエBalletの語源です。
フランス
こうして、イタリアで発展した華やかな催し物は、1533年フィレンツェのメディチ家から15歳のカトリーヌ・ド・メディチがアンリ2世に輿入れしたときに、フランス宮廷にもたらされます。
フランス宮廷では、カトリーヌ・ド・メディチにつき従ってきたバルタザール・ド・ボージョワイユーという音楽家兼演出家により、毎日のように舞踏会が催されていました。
彼のもっとも有名な作品は、1582年10月15日に上演された「王妃のバレエ・コミック」です。この作品の大成功を機に、宮廷バレエはますます盛んになりました。
ルイ14世の時代
ルイ14世は当時の慣習に従って、幼少のときからバレエの稽古を始めました。5歳で即位しますが、正式にバレエに出演したのは12歳の時のようです。
15歳の時、4部構成の大作「夜のバレエ」に出演。これがきっかけで、太陽王と呼ばれるようになりました。
王はとにかくバレエ好きで、バレエによって権力を得ようとしていたようです。
ロマンティック・バレエ時代
ロマンティック・バレエとは、1830年代~1840年代ヨーロッパでとても人気のあったバレエのスタイルです。
19世紀の初め、ポワントの技術の出現によって、バレエは女性中心で踊る傾向が高まってきました。こうしてロマンティック・バレエが出現したのです。
ロシア
フランスで宮廷バレエが盛んだったころに、ロシアへ輸出されます。
1738年にフランスのバレエ教師ジャン=バティスト・ランデが宮廷内にバレエ学校を開き、公式にロシアのバレエ教育が始まりました。これが、ワガノワバレエ学校の前身です。
ロマンティック・バレエの時代には、タリオーニ、グリジなどのロマンティック・バレリーナがペテルブルクやモスクワで踊り、バレエはますます盛んになりました。
バレエ・リュス(バレエ・ロシア)
セルゲイ・ディアギレフは、ディアギレフ・ロシア・バレエ団を作り、1909年第1回パリ公演を行い、大成功を収めます。
1911年からは、モナコのモンテカルロが本拠地となります。
古典バレエは女性が中心だったのですが、バレエ・リュスでは、ニジンスキー、マシーンといった実力ダンサーのおかげで、男性も主役としてしっかり踊るようになりました。
バレエ・リュスの解体後、リュスに参加していたダンサー、振付師が散らばり、バレエが全世界に広がるようになりました。
